It's Only チラシの裏 ~but I like it

つれづれなるままに書いてます。一番読まれないタイプのブログです。

Can't you see this old boy has been lonely

「自己責任論」ここに極まれり

16歳の女子高生に対し強制わいせつ行為を行った容疑で野球部員1名が逮捕された群馬県桐生第一高校が記者会見を開いた件ですが、集まった報道陣から、


「野球部の練習で鍛え上げた体で襲いかかったのでは」
「被害女性より野球部員の気持ちを優先したのか」


など怒号が飛び交ったそうです。


それに対して校長は


「時代的に、1人のミスを全員で責を負うのは違ってきている気はする。」


とコメントしたっていうんですが、要するにまたも「自己責任論」なわけですね。


「自己責任」てのは、良く言えば反動的全体主義の対極に立つ思想てことで、「進歩的」であり、多くの国民から支持を得ていますが、私はあんまし好きじゃありません。


不安定労働の実態を告発して異を唱えれば「そんなの自己責任」。長時間労働に加えて、かぐや姫の如き無理難題なノルマなどを課された末、過労死をすれば、これも「自己責任」(この発言で有名な方は奥谷禮子氏[日本郵政ほか経営諮問委員会委員、経済同友会幹事、人材派遣会社ザ・アール社長ほか多数兼務]。詳しくはここ)。カノジョができない、カレシができない、も「自己責任」。
世の中なんでも「自己責任」です。


この立場を取る方には保守系の方が多く、そのうち大半の方が拠り所としているのがサミュエル・スマイルズSelf Help(『自助論』[かつての邦題は『西国立志編』])です。
「自己責任論」の方々は、このスマイルズを教典として、「天は自ら助くる者を助く」、「不遇は自分のせいであって、国や社会を批判するのは間違っている」とおっしゃるのですが、「天」にましますスマイルズ氏はどうお思いかと考えます。
上の解釈で合ってるのかな?


ともかく、「自己責任論」が蔓延する昨今の我が国では、トップが責任を取るということをしなくなりました。
かつて山一證券が倒産した際、「社員は悪くありません!私が悪いんです!」と号泣して叫んだ当時の社長さんは、今思えば「責任を取るトップ」の最後だった気がします。
それ以降は不二家にせよ飛騨牛にせよ何にせよ、みんな、「従業員が勝手にやった」の一点張りです。
不二家に至っては「その従業員が実はパートでして……」と言いながら、記者たちの方へ顔を上げ、一瞬ニヤリとしました。
証拠をお見せしようと動画を探しましたが、「不二家」で検索すると無関係なエロ動画とかばかり引っ掛かりますね。偶然の不具合でしょうか?
ともかく動画は貼れませんでしたが、確かにニヤけました。あれは、フリーターを蔑む世論を利用して、「ああ、フリーターじゃしょうがねぇな」、「不二家さんも気の毒だ」で一件落着を目論んだように思えてなりません。しかし記者たちは沈黙のまま完全スルーで、不二家のお偉いさんはバツ悪くなって下向いちゃいました。


私は、仮に従業員が勝手に悪さをしでかしたとしても、それを野放しにした責任を取って「大変申し訳ございませんでした!」と詫びるのがトップの役目と思うのですよね。そしてもちろん、辞任も含めて責任を取る。
ところが、今のトップに、そういう人はいないのです。
かつては政治家が、何か不祥事が起こる度「秘書がやったこと」と言い、秘書だけ捕まって自身は次の選挙でみごと再選を果たすという、お決まりのパターンがあって、「トカゲのしっぽ切り」とか言われたのですが、今はそれが企業の社長さんにも見られるという具合です。
で、さらに、学校もまた、同様でした。


『スポーツ報知』の記事には、こうあります:


「学校の責任については『事件が終了したら検討したい』と明言せず、福田治男監督(46)の進退についても『本人は言及していませんでした』と出場が認められた場合も監督交代を考えていないことを明かした。」


「時代的に、1人のミスを全員で責を負うのは違ってきている気はする」という反全体主義思想を根拠に、結局、犯罪を犯した生徒の「自己責任」ということを学校は主張しているようです。


「自己責任論」
あまりにも乱用され過ぎてるとは思われませんか?
これが正しいのかな?