It's Only チラシの裏 ~but I like it

つれづれなるままに書いてます。一番読まれないタイプのブログです。

Can't you see this old boy has been lonely

麻原の言葉に妙に納得

ネットで笑われている麻原彰晃の言葉ですが、クルマに関連して妙に納得してしまいました。ちょっと長いですが引用します:


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ここに愚者と智者のふたりがいたと想定しよう。愚者は、例えばここでオレンジを一個買う。それを食べて、そのおいしさを味わったとしよう。次の日も二個 三個四個と買って飽きるまで食べる。
そして、オレンジに飽きる。もはやおいしくはない。次はリンゴにしよう。彼はリンゴを食べる。飽きるまで食べる。 次はバナナだ。バナナで同じことを繰り返す。
 ここで、智者だったらどういうプロセスを辿るのかね。その人は、オレンジに飽きたとき、「なぜ私はオレンジに飽きたんだろう?」と考える。
そして、「私は今度は、リンゴを食べたいと思っているけど、ひょっとしたらリンゴにも飽きるんじゃないか。」っという考えに至るだろうね。
そして、リンゴに挑戦するとき、 「その時の心の変化をできるだけ客観的に見ていこうじゃないか。」と決心する。そして、リンゴを食べていきながら、個数を増やしていきながら、心の変化を理解していく。
そうするとね、オレンジとリンゴ、これくらいで飽きる経験はすんでしまうわけだ。飽きる経験がすんでしまうから、次のバナナまでいかない。いく必要がないんだ。
オレンジやリンゴがね、車に変わっても同じだね。例えばブルーバード、例えばスカイライン、例えばシビック。初めにブルーバードに乗っていてね、
飽きてスカイラインにする。次はシビックにしてみる。これと、オレンジ、リンゴ、バナナのプロセスは全く同じだ。異性について考えても同じだよ。
A子さん、B子さん、C子さんと心が移っていくプロセス、これも全く同じだ。
 私達は、だから、もしオレンジで心の動きを理解したならば、車に対しても異性に対しても、惑わされることはないだろう。その時、自ずと悟りが訪れます。
急に、悟り、なんて言葉がでてきてびっくりしたかな。オレンジや車と悟りが、なにやらつり合わないような気がするかもしれない。
しかし、悟りとは心の動き、あるいは真我がどのようにして闇の中に入っていくかをね、客観的に見て理解できる状態のことなんだ。いいですか。これが悟りのプロセスだ。
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私も二十数年クルマに乗って来て、ずいぶんと手荒く乗り替えをしましたが、今のCR-Zになってからピタリと落ち着いています。欲しいクルマは今でもあって、おカネあったらポルシェのカイエンとか乗ってみたいし、もちょっと現実的なところでは今度おっさん向けに出されるトヨタ86の外装いじくりヴァージョンなどにも惹かれてます。
しかし、もう以前のような衝動は覚えないのです。それは麻原の言う通り、何に乗り替えたとしたところでまた別のクルマが欲しくなるというのが分かるようになっているからです。この境地になるともう買い替えは純粋なカネの無駄遣いと知れて、乗り替えようという気持ちが起こらなくなって来るんですね。
私は悟りのプロセスを経たのでしょうか?(笑)