It's Only チラシの裏 ~but I like it

つれづれなるままに書いてます。一番読まれないタイプのブログです。

Can't you see this old boy has been lonely

何が売れるか?は難しいね という話

別に上の記事からの流れで早速……というわけじゃあないんですが(笑)昨晩TBSで懐メロ特番見ました。
私はちょっと前までは懐メロの番組など退屈で絶対に見なかったんですけども、夕べは気付けば大半見ちゃった。
歳、取ったのかねぇ?(ちょいショック!)
しかし安住さん、いくらなんでも出過ぎですね。2時間も寝てないんじゃないのかなぁ?
お体が心配です。
ご自愛ください。見てないと思うけど。(笑)


さて、その番組に元・殿さまキングス宮路オサムさんが出ておいででした。
大ヒット曲「なみだの操」リリース秘話が聞けたのですが、レコード会社内では「こんなの売れない」「歌詞に出る女性がいくらなんでも古過ぎる」という理由から寄ってたかってNGくらったそうです。
ところが、その後入ったトイレで掃除のオバチャンが、「今日は、何?」と。
それで「新曲の打ち合わせで」と言うと、「どんなの?どんなの?聴かせてよ!」って運びになったそうです。
そこで宮路氏がラジカセで「なみだの操」を聴かせると、「これは売れるよ!絶対売れる!」とオバチャン太鼓判!(笑)
で、実際リリースしたところ殿さまキングスを代表する大ヒット曲となった、ということでした。


「それじゃあ、その掃除のオバサンに印税を少しあげないといけませんねー」と切り返したあたりが、さすが安住さんなのですが、
このお話伺って思い出したのは、西城秀樹の「ヤングマン」です。


ヤングマン」は西城さんがアメリカ行った時だかにVillage Peopleの"Y.M.C.A."を聴いて感動し、これを是非、歌いたい!と発案したのが始まりでした。
ところがこの時も、レコード会社は全会一致でNG!
というのは、Village Peopleといえば「ゲイユニット」だからです。
ゲイの歌をアイドル歌手の西城秀樹に歌わせられない。ということでレコード会社はボツを出しました。
しかし諦められなかった西城氏はマネージャーに全然ゲイではない日本語詞を付けてもらい、粘り強く交渉し続けたらしいです。
その結果は、ご存知の通り。
これまた西城秀樹を代表する大ヒット曲となりました。
それどころか、
わざわざアメリカから本家のVillage Peopleが(たしか)やって来て、「YMCAの振りを教えてくれ」と、「あれは凄くイイ!」と頼んで来たそうです。


こんな話はまだまだありまして、
後にGodiegoゴダイゴ)のメインボーカルとなったタケカワユキヒデ師(←私は崇拝者につき、こう表記します(^^;)がピンのシンガーソングライターとしてデビューを目指していた時、どこの会社へデモテープ持ってっても全部NGだったそうです。最悪、目の前でごみ箱に捨てられたとも。
これの理由は1つ、「歌詞が英語だから」。


それでも夢を諦めなかったタケカワ師は、「売れればいいんですよねー?」とレコード会社に言い、手売りで物凄い枚数売ったらしいです。それで、めでたくデビューが叶い、「タケカワユキヒデミッキー吉野グループ」として活動後"Godiego"結成。
ガンダーラ」、"Monkey Magic"、"The Galaxy Express 999"へとつながって行きました。


思うに、こんな例は案外、枚挙にいとまがないんではないでしょうかねぇー?
レコード会社の偉い人たちは「プロ」なわけですが、その人たちよりも掃除のオバチャンの方が鋭い嗅覚を持ってたり、テレビの前の、いわゆる「お茶の間の皆さん」の方が耳肥えてたりする例はあまりにも多いです。
というか、「ポピュラー」ミュージックなわけですから、プロよりも民衆の感覚が大事、というのは当然と言えば当然な気もします。


それにしても、
何が売れるか?というのは難しいものなんですねぇ……。




【追記】
1)西城秀樹の「ヤングマン」は当然のこと各賞を受賞しましたが、レコ大は確か逃したはずです。それは西城氏ご本人の談によれば歌詞が「作詞」ではなく「訳詞」となっていたせいで、「直訳」と勘違いされたようですね。(本当は全くの「作詞」だったのに。)「アメリカの音楽のカバーじゃねーか」てことで大賞は取れなかったようです。
レコ大はそもそも、「欧米か!?」と突っ込み入れたくなるような音楽が日本の在来種(邦楽)を駆逐しそうな勢いだったことに脅威を感じた人々により、邦楽推進の目的で発足したらしいですから、「米帝の音楽」にキビシイのは仕方ないですけどね。しかし「ヤングマン」は西城氏とマネージャー氏(作詞担当)を中心に、心底純粋な気持ちで歌っていたんだなぁということがうかがえるエピソードです。
2)本家Village Peopleも習ったという「YMCA」の振りですが、これの影響で海援隊の「JODAN JODAN」(「ヤングマン」への風刺という説もあります)から矢野一美の「恋の応援歌」が生まれました。(って、すいません、直前のは知りませんけど。(笑)