「外需頼み」に反抗し続けたクルマ
先日、元日放送の『朝まで生テレビ』で、司会の田原総一朗氏が気色ばんで声を張り上げた場面がありました。(まぁ、毎回かも分かりませんけど。(笑)
それは、野党議員や貧困層側論客が、「労働者いじめは内需の縮小につながり、いずれは企業にはね返る」と主張するのを聞いて、
「内需、内需ってみんな言うけどさぁ。ニッポンは戦後ずーっと外需頼みでやって来たんだよ!!何言ってんだ!!」
と、おっしゃった場面です。
もろ内需頼みで経営しているワタミの社長氏は、財界側の最右翼、田原総一朗氏の隣に座ってらっしゃいましたが、なんだか貧困層側に着席した方が良かったんじゃないか?みたいな空気となってました。(^^;
確かに、言われてみれば田原氏のおっしゃる通りで、日本は私が物心ついた時にはもう、外需、外需でやっておりました。「アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひく」とか、よく言われました。それで「そりゃ大変」てことで私が英語を習い出したりもいたしました。(笑)
しかし、
そんな日本の中で、かたくなに輸出を拒み、日本国民の方のみを向いて売り続けたクルマがありました。
後の日産スカイラインです。
プリンス・スカイラインは、第2回日本グランプリにて、わずか1周ではありましたがポルシェを抜きました。
もちろんトップです。
その後ポルシェに抜き返され、結果は第2位で終わりましたが、これは日本人の目を覚まさせ、奮い立たせ、「俺たちでもヨーロッパに勝てるんだ!」という気概を生み出しました。
そして、直後に日産へ吸収された後も、スカイラインは、ひたすら国内販売のみ。
「つっぱり」だと思います。
スカイラインは、「日本のクルマ」と呼ぶにふさわしい名車だと私は思っています。
様々な意味で……。